2017年11月04日

何故に戒名が必要とされるのか〜七沢観音寺住職法話の一部〜

私たち肉体を持つ人間は一晩寝たら、誰でも振り出しに戻るんやと、比叡山の大阿闍梨に教えて頂いたことがあります。
当時30代前半だった私も本当にそうだとつくづく感じました。
あれから15年の月日がたっても、当時を思い出すのが、庭掃除をしているときである。
髪の毛も、髭も、爪も毎日伸びる。ホウキをもち、落ち葉掃きをしながら、「この落ち葉も煩悩と同じなんだ」と感じながら。
当時と変わった事は、嫁と子供と寺をお聖天様にお授け頂いた事だ。自分の中身はいつもかわらずだが、白髪が増えたことと、体重が増えたことで心配も増えたことである。

話がそれたが生身であっても身体から魂が離れても修行は続くということ。

忌日というものがある。故人の命日から七日ごとに進んでいく。同時に本尊が変わり修行の中身も変わるのですと説くことが多い。その後三十三回忌や五十回忌を経て生まれ変わります。これを一般的に輪廻転生というのです。人によっては転生が早い遅いの違いや動物に生まれ変わったりもする。

自殺をしたからといってよいところに生まれ変われる保証は全くないと言っていい。少しでも良いところに生まれつくために精進をするのでなければならない。

実態のない世界に足を踏み入れた霊魂はどうやって学んでいくのか考えたことはあるでしょうか。

それのひとつがお経です。読み聞かせることが自分の子孫からのものなら、とても嬉しいでしょうね。
坊主のお経は皆様の代わりに代表で唱えさせていただいているものでもあります。
お経は釈尊が生前に説かれたものをお弟子達が苦労に苦労を重ねてやっとの思いで集めて文字にしたものです。紙もあるかないかの紀元前のおはなしです。遠い祖先のそんな歴史の繰り返しを私たちは軽んじて、見向きもしないで宝を放り投げている状態まさに末法という時代に生かされているわけです。

そのお経は生きてる人にどのような修行をしたらよいか、生き様はどうあるべきなのか教えてくれているもので、生身の人間に語りかけてくれるものなのです。死者のためのものではなく、生きている人のためなんです。霊魂が生きているからこそお経を差し上げ学んでいただくものなのです。

ようやく戒名のはなしへ移りますが、戒名も霊魂が生きてると信じているから差し上げるものなのです。
戒名の話はとてもふかく、説明しきれるか自信ないのですが、伝教大師の時代にさかのぼります。

字のごとく戒律を授かった証です。
沢山の守らなければならない規則といえば分かり易いですね。
小乗仏教の戒律を小乗戒。大乗仏教の戒律を大乗戒と言います。

この大乗戒をお葬儀にてお授けしているわけです。

小乗戒ではあれをしてはならないとかこれをしてもいけないとかという規則でがんじがらめになってしまいますが、伝教大師最澄様が導入なされた大乗戒は別名を菩薩戒ともいい、大きな船に乗り、みんなで一緒に悟りの世界を目指し、一人だけで悟りの水を飲まないという菩薩の覚悟を持ち実践していくという戒律なのです。

これを受けていくのといかないのとでは、未来世における人としての生まれ変わりに期待が持てないということにつながる訳なのです。

自分の身の回りが神経質な小乗仏教ばりの人だらけではうんざりですよね。

上げ足をとるのが上手な人がこの現代に多くみられるのは、戒名なんかいらないよという身勝手な自由世界に汚染された結果でもあるといえる気がいたします。
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個人的な感想も一部はいっておりますが、大まかにいえば戒名は大事で、来世の準備を生きてる今からはじめて欲しいと思います。浄仏国土を現代に作る悲願にみんなで挑戦していきましょう。
                                              合掌



posted by 七沢観音寺 at 02:08| 神奈川 ☁| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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